徳島地方裁判所 平成3年(ワ)373号 判決 1993年6月18日
②事件
原告
坂田武義
外一八七名
右原告ら訴訟代理人弁護士
佐藤裕人
同
安田信彦
同
古川靖
被告
株式会社講談社
右代表者代表取締役
野間佐和子
被告
野間佐和子
外五名
右被告ら訴訟代理人弁護士
河上和雄
同
的場徹
右被告ら訴訟復代理人弁護士
山崎恵
同
成田茂
主文
原告らの請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求める裁判
一原告ら
1 (第一次的請求)
被告らは原告各自に対し、連帯して金一〇〇万円及びこれに対する被告株式会社講談社、同野間佐和子、同元木昌彦、同森岩弘及び同佐々木良輔は平成三年一二月一八日から、被告早川和廣及び同島田裕巳は平成三年一二月二二日から、それぞれ各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(第二次的請求)
(一) 被告株式会社講談社、同野間佐和子、同早川和廣及び同元木昌彦は原告各自に対し、連帯して金一〇〇万円及びこれに対する被告株式会社講談社、同野間佐和子及び同元木昌彦は平成三年一二月一八日から、被告早川和廣は平成三年一二月二二日から、それぞれ各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(二) 被告株式会社講談社、同野間佐和子及び同森岩弘は原告各自に対し、連帯して金一〇〇万円及びこれに対する平成三年一二月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(三) 被告株式会社講談社、同野間佐和子、同佐々木良輔及び同島田裕巳は原告各自に対し、連帯して金一〇〇万円及びこれに対する被告株式会社講談社、同野間佐和子及び同佐々木良輔は平成三年一二月一八日から、被告島田裕巳は平成三年一二月二二日から、それぞれ各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(第三次的請求)
(一) 被告株式会社講談社、同野間佐和子、同早川和廣及び同元木昌彦は原告各自に対し、連帯して金三三万三三三四円及びこれに対する被告株式会社講談社、同野間佐和子及び同元木昌彦は平成三年一二月一八日から、被告早川和廣は平成三年一二月二二日から、それぞれ各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(二) 株式会社講談社、同野間佐和子及び同森岩弘は原告各自に対し、連帯して金三三万三三三三円及びこれに対する平成三年一二月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(三) 被告株式会社講談社、同野間佐和子、同佐々木良輔及び同島田裕巳は原告各自に対し、連帯して金三三万三三三三円及びこれに対する被告株式会社講談社、同野間佐和子及び同佐々木良輔は平成三年一二月一八日から、被告島田裕巳は平成三年一二月二二日から、それぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二被告ら
1 本案前の申立て
原告らの訴えをいずれも却下する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
2 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二事案の概要
本件は、被告らが共謀の上、原告らが正会員となっている宗教法人幸福の科学及び同法人の代表役員である中川隆を誹謗中傷する捏造記事を週刊「フライデー」誌等に掲載し、原告らに種々の精神的損害を与えたとして、原告らが被告らに対し、慰謝料の連帯支払を求めるものである。
(争いのない事実等)
一当事者等
1 原告らは、宗教法人幸福の科学(以下「幸福の科学」という。)の正会員であり、幸福の科学の代表役員である中川隆(以下「大川主宰」「大川隆法」ともいう。)を預言者としてその信仰の対象としているものである。
2 被告株式会社講談社(以下「被告講談社」という。)は雑誌及び書籍の出版等を目的とする株式会社であり、週刊「フライデー」誌、週刊「現代」誌、被告講談社発行の月刊「現代」誌(以下それぞれ「週刊フライデー」「週刊現代」「月刊現代」という。)等を出版している。
被告野間佐和子は被告講談社の代表取締役社長である。
被告元木昌彦は週刊フライデーの編集人である。
被告森岩弘は週刊現代の編集人である。
被告佐々木良輔は月刊現代の編集人である。
被告早川和廣は週刊フライデーの執筆者であり、後記二の1の記事を執筆したものである。
被告島田裕巳は日本女子大学文学部史学科助教授であり、後記二の6の記事を執筆したものである。
二本件記事の掲載
被告講談社が発行している週刊フライデー等には以下のとおりの記事及びその他これに類する記事が掲載された。
1 週刊フライデー平成三年八月二三日・三〇日号には、「連続追及 急膨張するバブル教団『幸福の科学』大川隆法の野望『神』を名のり『ユートピア』ぶち上げて三千億献金めざす新興集団の『裏側』」と題する記事が執筆掲載された。
この記事の中には、次のような記述がある。
GLA元幹部で現在、東京・墨田区で人生相談の「石原相談室」を開いている石原秀次は語る。
「彼がまだ、商社にいるころでした。ぼくのところに、ノイローゼの相談にきました。『GLAの高橋佳子先生の『真創世記』を読んでいるうちにおかしくなってしまった。自分にはキツネが入っている。どうしたらいいでしょうか』と。分裂症気味で、完全に鬱病状態でした。ノイローゼの人は名前や住所を隠す場合が多いんですが、彼も中川一郎(本名は中川隆)と名のっていました」
その青年が、数年後の現在、霊言の形を借りては、あらゆる宗教家、著名人になりかわり、ついには自分は『仏陀である』と語るのだ。
大川氏の変身ぶりの背後に何があったのか。宗教の魔訶不思議な作用というには、あまりにいかがわしさがつきまとっているとはいえまいか。
2 週刊フライデー平成三年九月六日号、同月一三日号、同月二〇日号、同年一〇月四日号、同月一一日号、同月一八日号、同月二五日号には、「連続追及 急膨張するバブル教団『幸福の科学』大川隆法の野望」と題する記事が執筆掲載された。
3 週刊現代七月六日号には、「内幕摘出レポート『三〇〇〇億円集金』をブチあげた『幸福の科学』主宰大川隆法の“大野望”東大法卒の“教祖”が号令!」と題する記事が掲載された。
この記事は、次のような記述で始まる。
「私は入会して三年になりますが、宗教法人として認可(今年三月七日)されてから、おカネの動きが激しくなりました。この前、(東京・千代田区)紀尾井町ビルの本部で、ちょうどみかん箱くらいの段ボールが数個、運び込まれているところに居合わせたんです。経理の人に『あれはコレですか』って現金のサインを指でつくったら、その人は口に指を当てて“シー”というポーズをした後、『そうだよ。でも、他の人にいってはダメだよ。』といいました」
いま話題の新興宗教『幸福の科学』(大川隆法主宰)の中堅会員は声をひそめて語った。
ついに、あの「幸福の科学」が、巨額の資金集めを始めたというのだ。
・・・・もともとこの教祖はなかなか自己顕示欲が強く、プライドが高いのは確か。
「六月一六日、広島で行われた講演で大川氏はこんなことをいっていました。『最近、会員のなかに霊がわかるという人がでてきたようだが、皆、そんな人に惑わされないように。もともと、その霊能力も私が授けたものなんだから』
自分以外の者が勝手なことをしたり、注目を集めるのが許せないんです。(元会員)
4 週刊現代九月二八日号には、「徹底追及第二弾 続出する『幸福の科学』離反者、内部告発者の叫び 大川隆法氏はこの『現実』をご存じか」と題する記事が掲載された。
(一) この記事の中には、次のような記述がある。
・・・・「幸福の科学」とはどういう教団なのだろうか。
草創期から携わっていた元役員は次のようにいう。「もともと大川氏は口数も少なく、大人しいタイプでした。会員をはじめ、役員たちとあまり話をすることもありません。教団の運営は、ごく限られた“腹心”たちと決めていました。会員の動向は、その腹心たちから毎日上がってくる『業務報告』で把握していました。ただこの報告が問題。ここで悪くいわれた人は、すぐ教団を追いだされました。みんな、この報告のことを陰でゲシュタポ・レポートと呼んでいました」
当初からこの集団は“問題教団”になる危険性をはらんでいたのである。
(二) さらに、右記事の他の部分では、次のような記述もある。
大川隆法主宰(本名・中川隆)は・・・・いったいどんな“素顔”をもった人物なのだろうか。
「銀座の高級クラブで一〇人くらいの側近を引き連れた大川氏と一晩、ヘネシーを飲んだことがあるけど、物事を論理的に話すヤツだなあという印象を持ったな」
というのはある画家(特に名を秘す)である。
今春、銀座の画廊で「観音様」をテーマにした個展を開いたとき、大川氏が一団に囲まれて会場に現れ、四〇号の「観音様」の絵を五〇万円で買ってくれたというのだ。
その画家が、「できるだけ無欲の精神で描こうと思っていますが、なかなかうまくいかないものです。煩悩の数だけ生きて、一〇九歳にでもなれば、納得のいく絵が描けるかもしれません。」というと、大川氏は、「私も宗教者として全く同じ気持ちです。」と答え、意気投合。そして大川氏の側近から、「銀座で一杯いかがですか」と誘われ、一緒に飲んだというわけだ。ただ、行った店は大川氏の行きつけではなかったようで、店内でも大川氏は静かにグラスを傾けていたという。
5 週刊現代一〇月一二日号には、「『幸福の科学』の強引な『カネと人』集めははた迷惑だぞ!今度は小誌が『名誉毀損』だって」と題する記事が掲載された。
右記事には次のような記述がある。
そこまでいうなら反論しよう。
まず小誌九月二八日号でゲシュタポ・レポートの存在を明かした草創期からの会員の再証言である。
「内部の状況を逐一、大川氏に報告するレポートが“腹心”の役員から出されていました。陰口をたたいたりした人間はチェックされ、まず監視をつけられました。なかには、突然仕事をホサれたり、イヤガラセとしか思えない命令をされる人もいた。そんな人たちは、次第に追いつめられて、辞めていきました。私の仲間が、それを“ゲシュタポ・レポート”と呼んでいたのも事実です。」
元幹部も、これを裏付けるように証言する。
「この報告はほぼ毎日出されていました。初期の責任者はK・T誌。彼は会員たちの間では絶対的な存在でしたよ。よく『自分がいうことは大川先生のいうことだ』といっていました。彼が逐一報告していたため、大川氏は事務所に来なくても、会員の動向を把握できたわけです」
さらに、次のような記述も存する。
一方、五〇万円で絵を買ってもらった画家は、こう語る。
「なんでウソだなんていうんだろう。きっと今、大川氏はカネに困っているので、絵を買っていたなんて書かれると困るんだろうね。周りに、“ムダ遣いしてる”と思われたくなかったんじゃないかな」
その画家は今年四月一日から六日まで、東京・銀座の某画廊で個展を開いていたのだが、ある日、大川氏が五、六名の側近を連れてきたという。
「側近の一人から『大川隆法さんです』と紹介されたんだ。その時、『太陽の法』とかいう本もくれた。その後、大川氏らと銀座へ繰り出したのも本当だよ。(ある画家)」
6 月刊現代平成三年一〇月号には、「宗教学界の異才が初の本格追及こんなものがはびこるのは日本の不幸だ! バブル宗教『幸福の科学』を徹底批判する」と題する記事が掲載された。
この記事は、「単なる古今東西の宗教の寄せ集めで体系性を欠いた思想、『日本だけは大丈夫』の怪説―会費ダンピングで数だけ増やす“危険な宗教”の狙いと本当の正体を見誤るな」というリードで始まり、本文では
幸福の科学が何を目的に活動しているかがわからない
幸福の科学の教えがどういったものであるのかは、大川(主宰)の本を読んでも理解できない。
(幸福の科学の)イベントや本に内容がない
(幸福の科学の)教えの内容(は)…、単なる古今東西の宗教の寄せ集めにしかすぎない
(幸福の科学の)教え(は)…、寄せ集めで体系的でない
幸福の科学は、まさに「バブル宗教」である。その目的は自分たちの組織を拡大することにしかない
幸福の科学の会員たちは日本だけの繁栄を望んでいる
日本人のダメさの象徴が幸福の科学なのかもしれないのだ。幸福の科学の正体は、日本人の正体でもある
大川隆法の「正体」は、せいぜい落ちこぼれのエリートでしかないのだ
平凡なエリートの落ちこぼれと宗教好きの父親という組み合わせが、幸福の科学の「正体」である
との記載がある。
(争点)
一本件訴えは訴権の濫用にあたるか(本案前の争点)
1 被告らの主張
本件訴えは、被告講談社の行った大川主宰に関する報道全般を無差別的、無限定的に問題とするものであり、また彼らがこの報道に接したか否かを問わずに信者であるということだけを根拠とするもので、およそ適法な法的権利に基づくものとはいえない。
また、本件訴えは、大川主宰に対する「不敬」があったとして、信者の立場においてこれを断罪しようとするものに等しい。これは大川主宰を「神の言葉を預かる者」等と位置付け、特別な存在として、同人に対する「不敬」一切を許さないとする思想に貫かれたものであり、思想、良心の自由、言論、出版、表現の自由に違背する前近代的なものであり、憲法秩序を真向から否定する性格のものであって、公序に反する。
さらに、本件訴えは、幸福の科学が平成三年九月二日以来、組織をあげて開始し継続している被告講談社に対する不法な業務妨害行為、講談社攻撃の延長線上に位置付けられたものであり、被告講談社に対する政治的な打撃を目論み、全国の信者らを組織的に動員して統一反復して提訴した訴えの一つであり、不法な目的に基づくものである。
以上のとおり、本件訴えは、その動機、目的、請求内容、権利の主張の特定性において、いずれも不適法であって、訴権を濫用したものというべきであるから、却下を免れない。
2 原告らの主張
右主張を争う。
二原告らに不法行為により保護される被侵害利益があるか。
1 原告らの主張
被告講談社らが週刊紙上等に掲載した前掲の記事はいずれも虚偽と捏造と一方的決めつけに満ちたものである。原告らは、このような被告らの一連の誹謗中傷記事により、会員としての信仰のよりどころである大川主宰に泥をぬり続けられ、さらには自分が所属する幸福の科学がいんちき宗教団体であるかのように言い続けられ、深く深く心が傷ついた。これを法的にいえば、原告らは、被告らにより幸福の科学及び大川主宰への誹謗中傷行為により、幸福の科学の正会員として、大川主宰を信仰するという宗教上の人格権を「直接」侵害されたという表現になる。
この宗教上の人格権とは、「他者から自己の欲しない刺激によって心を乱されない利益」「心の静穏の利益」をいい、これは「自らが帰依する宗教団体及びその信仰の対象たる御本尊を、明確にいきすぎた誹謗中傷の言論で傷つけられることのない利益」あるいは「自らが帰依する宗教団体及びその信仰の対象たる御本尊をみだりに汚されることのない利益」といいかえることができ、本件では具体的には「自らが正会員として所属する宗教団体である幸福の科学及びその信仰の対象である御本尊大川主宰を、捏造記事等の無責任な暴力的言論で誹謗中傷されることのない利益」をいう。仮に、右宗教上の人格権なる権利の権利性が強固でないとしても、本件各出版行為には強度の違法性があるので本件各出版行為は原告らに対する「直接」の侵害行為であって不法行為が成立するとも主張する。
ちなみに、本件における、個々人の具体的な被害の態様は以下のとおりである。
第一に、捏造・誹謗中傷記事の内容を信じこまされ、人間として最も大切な信仰を奪われることにより原告らが受けた精神的被害である。
第二に、捏造・誹謗中傷記事を直接読まされることにより、あるいは、間接的に聞かされることにより、その記事の内容そのものから、原告らが心に受けた精神的被害である。
第三に、捏造・誹謗中傷記事により、大川主宰が「おかしな」人物であり、幸福の科学が「おかしな」宗教だ、などと捏造の事実を信じこまされた家族や友人・知人らから、様々な許しがたいことを言われたこと等による精神的被害である。
第四に、捏造・誹謗中傷記事により、家族や親戚、親しい友人・知人等が、大川主宰が「おかしな」人物であり、幸福の科学が「おかしな」宗教だと誤解することとなったが、にもかかわらず原告らが、幸福の科学の会員や職員であり続けたことで、回復が困難なほどの人間関係の破綻に至ったことによる精神的損害である。
第五に、捏造・誹謗中傷記事により、友人・知人等が、大川主宰が「おかしな」人物であり、幸福の科学が「おかしな」宗教だ、などと誤解したことから、伝道活動が阻害されたことによる精神的損害である。
第六に、捏造・誹謗記事により、大川主宰が「おかしな」人物であり、幸福の科学が「おかしな」宗教だ、などという捏造の事実を信じこまされた人々から、幸福の科学の会員や職員であることを理由とした、差別的取り扱いを受けたことによる、精神的損害である。
第七に、幸福の科学の会員であることを前面に掲げて経営や商売をしていたため、捏造・誹謗中傷記事による、大川主宰が「おかしな」人物であり、幸福の科学が「おかしな」宗教だ、などといういわれのない悪評の流布とともに、直接的に会社の信用低下、売上げの大幅な減少をきたし、これにより精神的被害を被った事例である。
2 被告らの主張
原告らはいわゆる「間接被害者」にとどまり、直接の被害者ではない。したがって、原告らは、本件不法行為の損害賠償の主体たりえない。
なお、原告らは宗教上の人格権を「直接」侵害されたと主張するが、宗教上の人格権なるものは法的保護の対象とはならない。
三共同不法行為の成否について
1 原告らの主張
前記一連の記事の掲載は、被告らが共謀の上で掲載したものである。
2 被告らの主張
右事実を否認する。
第三争点に対する判断
一本件訴えは訴権を濫用する違法なものか(本案前の争点)
本件訴えは、被告らの本件記事の執筆、掲載及び出版行為により、原告らが宗教上の人格権を侵害されたとして、その精神的損害の賠償を不法行為法に基づいて請求するものであるから、法的請求としては特定されており、また、請求内容も何ら公序に反するものではない。
また、本件訴えが原告らを含む幸福の科学の会員らによって繰り返された被告講談社に対する業務妨害行為ないし攻撃の一環であるとの被告ら主張の事実についてはこれを認めるに足る証拠はなく、その他、本件訴えが違法な動機、目的に基づき提起されたとする事情もこれを窺うことはできない。
以上のとおりであるから、本件訴えが訴権の濫用であるとする被告らの主張は理由がない。
二原告らに不法行為により保護される被侵害利益はあるか。
本件で原告らが加害行為としているのは、前記のとおり、いずれも幸福の科学に関する記事の出版及び大川主宰に関する記事の出版であり、原告らに直接言及した記事の出版ではない。してみると、仮に、右記事の出版行為によって幸福の科学及び大川主宰の「名誉」等が毀損され、これにより原告らが宗教上の不快感を感じたとしても、それはいわゆる「間接被害者」の損害にとどまるものであり、民法七一一条所定の近親者としての関係や経済的一体関係等が認められない以上、慰謝料請求ができるものでない。しかして、原告らがこのような関係にあることは認められず、原告らが幸福の科学の会員でありかつ大川主宰を預言者として信仰の対象にしていることをもって右と同視すべき関係にあると解することはできないから、原告らは、幸福の科学及び大川主宰の名誉が毀損されたことを理由に本件各出版行為を行った者に対し損害賠償を請求することはできないものというべきである。
原告らは、「自らが帰依する宗教団体及びその信仰の対象たる御本尊を、行きすぎた誹謗中傷の言論で傷つけられて心の静穏を乱されない利益」なる宗教上の人格権が存在し、本件各出版行為は原告ら各自が有する右宗教上の人格権を「直接」侵害したものであると主張する。しかし、原告らが右において主張する「宗教上の人格権」なる法的利益は実体法上の根拠を欠くのみならず、未だ、その具体的な概念、内容、要件、効果等が不明確であって、権利保護の対象として十分に熟したものとはいえない。通常人なら誰でも持つ名誉感情と異なり、人が自己の信仰する対象あるいは帰依する宗教団体が誹謗中傷されたような場合にどのような宗教的感情を抱くかは、宗教観、当該宗教の種類、教義内容、信仰の程度、教団内部の地位等のそれぞれによって大きく異なり、その内容も不明確であるから、このような宗教的感情をもって法的利益に当たるものとすることはできない。
また、原告らは、本件記事の執筆、掲載により、直接精神的損害を受けたとして、縷々これを主張するけれども、これらは結局のところ右の記事の執筆、掲載に不快感を抱きあるいは怒りの念を覚えるといったように信仰者として有する宗教的感情が傷つけられたという域を出ないものであり、法的に保護された利益が侵害されたものということはできない。
したがって、原告らの主張する宗教上の人格権なるものは、これを不法行為における被侵害利益とは認めることができないものといわざるをえない。
なお、本件を実質的にみても、「自らが帰依する宗教団体及びその信仰の対象たる御本尊たる人物」を誹謗中傷する行為があった場合には、右宗教団体あるいは右人物自身がその名誉等が毀損されたとしてその損害の賠償を求めれば足りるのであり、右直接の被害者とは別個に、その信者である原告らが慰謝料請求をする具体的必要性はにわかに認めがたいのである。
第四結論
以上のとおりであるから、その余の点について判断するまでもなく、原告らの本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官朴木俊彦 裁判官近藤壽邦 裁判官三浦隆志)